第23回大会シンポジウム「ジャンルと文法」【質疑応答】特設ページ
いわゆる「ジャンル」と「文法」の関係は,古くて新しい,常に問い直されている問題です。話し言葉や書き言葉における各ジャンルには,その「ジャンルらしさ」にふさわしい文タイプや語彙が選ばれ,そのジャンル特有の文法があるとも考えられます。本シンポジウムは,こうした文法とジャンルの関係を,構文や言語形式の意味・機能といった観点から,共時的・通時的に改めて問い直すものとして企画され,当該分野の専門家3名を招いての討論を行いました。
・日時:2022年12月18日(日) 13:30-16:30
・実施形態:オンライン(Zoom)
・講師:大江元貴(金沢大学)
「文法のジャンル依存性―文法が生まれる場としてのジャンル―」
・講師:石黒圭(国立国語研究所・一橋大学)
「接続詞の選択に表れるジャンルの論理的特徴」
・講師:揚妻祐樹(藤女子大学)
「文体を創造すること―表現意図と慣習性との関係―」
・司会:志波彩子(名古屋大学)
当日,シンポジウムの終了時刻を延長できず,講師の方が回答することのできなかった質疑応答を以下に掲載します。
(質問者の個人情報に留意し,お名前・ご所属等は記しておりません。)
大江講師への質問と回答
- 質問:扱われた「よ」の用法は,非対面性を持った「書き言葉」の解説に,「話し言葉」の対面性を後から導入したと考えられないでしょうか。そのように書くことで,子供が解説を自分に語られているかのように感じられるのではないかという大人側の配慮があるように思います。
- 回答: はい,「よ」が使用される動機については,ご指摘いただいたようなイメージ(「話し言葉」の対面性を後から導入した)で私も考えています。そうであると考えられるにもかかわらず,実際の対面対話ではこの種の「よ」の使用が許されないという点が面白いところだと思っています。
- 質問:近代における冒頭の「諸君」というような呼びかけの語は,明治期に日本語に導入された演説というジャンルが生んだ新たな語の用法だと思うのですが,新しい文法が生まれる場としてのジャンルにはこうした近代から生まれた新しいジャンル等も含まれるのでしょうか。
- 回答:はい,ジャンルの新旧は問わず,あらゆるジャンルが文法が生まれる場になりうると考えます。より新しく,わかりやすい例で言うと,インターネットを介した談話ジャンル(LINE,YouTube,Twitter etc.)では,ジャンル依存性の高い言語表現がたくさん生まれていると思います。
- 質問:ジャンルに依存する文法は,年齢やその人の学習知識にかなり偏ると思われますが,どのように習得過程があると考えていらっしゃいますか。
- 回答: 多重文法モデルでは幼児の最も初期の言語獲得期においては日常的に「会話」に参加することで「会話文法」を形成し,次第に絵本の読み聞かせなどによって話し言葉とは質的に異なる書き言葉に触れることで「書き言葉文法」を形成すると想定されています。各人の言語生活によってその習得のあり様は異なり,特定のジャンルに接触する機会が多いほどそのジャンルに応じた文法の定着度が高まっていくと考えられます。ご指摘の通り,個人が有するジャンル文法,および様々なジャンル文法を含む総体としての文法知識には発達段階による違いや個人差が認められることになります。
- 質問:「話し言葉文法」と「書き言葉文法」の狭間に「独演調談話文法」がある,という結論でしたが,そのような「ジャンル文法」はいくつあると考えればよいのでしょうか。ジャンルごとに個別の「ジャンル文法」がカテゴリカルに存在するのか,似たような「ジャンル文法」が連続的に広がっているのか,これはどちらでしょうか。
- 回答:ジャンル文法がいくつあるかについては多重文法モデルにおいても明確には述べられていませんが,原理的には「数えきれないほどある」ということになろうかと思います。また,複数の異なるジャンル文法は連続的に広がっていると考えられています。例えば,Iwasaki (2015)では「講演文法」は典型的な「話し言葉文法」と典型的な「書き言葉文法」の両方の性質を備えていると分析されています。ただ,「数えきれないほどあり,連続的である」というのが実態だとしてもそれをそのまま受け入れるだけでは文法記述の枠組みとしては使いにくいところがあります。日本語社会において比較的共有度が高いジャンル文法にどのようなものがあるか,ジャンル(文法)の区別に有用な指標は何かといったことを具体的な現象記述を通して特定していきながら,文法研究者が目的に応じてより見通しの良いモデルに再構築していくのが良いのではないかと思っています。
- 質問:「独演調談話」を新たなジャンル(ジャンル文法)の一つと捉える点は難しいところもあるように感じられました。「独演調談話」性のような性質・素性が存在しており,それが講演や宣伝・広告記事に認められるといった見方も考えられるように思うのですが,この点についてはどうお考えでしょうか?
- 回答:私自身もご説明いただいたような見方で「独演調談話」を見ています。「独演調談話」というのは,「講演」や「宣伝・広告記事」などの共通性を捉えるために提案した抽象度の高いジャンルで,「モノローグ,かつ聞き手(読み手)意識が高い」という性質・素性で括り出される類型と考えています。
- 質問:ジャンル依存性について言及する場合は,「あるジャンルに現れると不自然」という観察が必要であるとすると,このような研究は内省の効く言語に対してしか行えない(行いにくい)ものなのでしょうか?
- 回答:研究者自身の内省が効かない言語であっても,他の外国語研究や文献研究と同じように,他者の内省を借りる,あるいは実例の量的調査によって顕著な偏りがあることを示すことでジャンル依存性について論じることができると考えます。したがって,「内省でしか行えない」ということはありませんが,「内省で(も)行える」点は強調したいところです。ジャンル研究の基本はやはり実例を基にした量的把握にあり,私自身がそうなのですが,普段主に内省判断を用いて分析をしている文法研究者にとっては気軽には飛び込みにくいところがあります。そういう意味では内省からもアプローチできるジャンル依存性が高い現象は比較的とっつきやすいとも言えるので,ジャンル研究への新規参入の呼び水にもなるのではないかと思っています。
- 質問:表題の文法が「生まれる」について,現代語共時態を対象として分析する場合に,「ジャンルによって新たに文法項目が創出される」ことと,「既存の文法項目の使用が,(他ジャンルでは使用がブロックされるなどして)結果的にあるジャンルのみで見られている」ことは,どのようにして区別されるでしょうか?例えば左方転移構文については,大坪併治氏が「提示構文」として,平安時代の漢文訓読資料に広く見られることを述べており,仮に,現代語の左方転移構文がこれと地続きのものとして見るならば,現代の独演調談話で新たに創出されたのではなく,あくまでも,既存の項目が独演調談話で好まれた/独演調談話以外では用いられなかった,と見ることになると思います。
- 回答:今回の発表で「文法が生まれる」という言い方で想定していたのは,「(言語表現の構築に関する)規則性が生じる」ということで,ご指摘いただいた2つの経緯の違いは区別せずお話ししました。前者(「ジャンルによって新たに〜」)であれ,後者(「既存の文法項目の使用が〜」)であれ,「ジャンルAでは文法項目aを使って文を構築するが,他のジャンルBやジャンルCではそのような文構築は見られない」というようなジャンルに応じた規則性が見出されれば,ジャンルA独自の文法が生まれていると言って良いと考えています。左方転位構文について私自身は通時的な検討は行えていないのですが,ご説明くださったようなストーリーで理解するのが自然なように私も思いました。
- 質問:これまでも〈新聞見出し〉に見られる文の構造や文法的性質・特徴を分析した研究が多くありますが,それらが記述しているものは書き言葉一般の文法や抽象文法とも異なるものかと思います。こうした一連の研究と,「ジャンル文法」はどのような点が異なっているのでしょうか。
- 回答:ご指摘いただいた新聞見出しに関する研究は,実質的にこれまでもジャンル文法的な視点から研究が行われてきたことの好例で,「新聞見出し文法」のような文法があると考えてよいと考えます。したがって,ジャンル文法という概念を持ち出さなくても個別の表現の記述はできるのですが,ジャンル文法の観点から捉え直すと,そのような記述の意味づけが少し変わってくるのではないかと思います。抽象的・均質的な文法像を想定する立場から見ると,新聞見出しに一般の書き言葉には見られない表現が現れるという事実は非常に周辺的で文法の根幹には関わらない現象のようにも見えます。他方,文法の多様性や習熟度の濃淡(理解文法〜産出文法)を前提とした多重文法モデルを通して見ると,「新聞見出し文法」も他のジャンル文法と同様に文法の(知識)体系の一角を占めるものと位置づけられ,文法研究が取り組むべき現象であるということがより強く打ち出されることになるのではないかと思います。
- 質問:ご発表にありました「独演調談話」についての質問です。先行研究(野田春美(2014)「疑似独話と読み手意識」『話し言葉と書き言葉の接点』)で,ブログ等の文体が「疑似独話」とされたものと,「独演調談話」とは,読み手を意識するという点で共通するかと思いますが,これらの先行研究も「ジャンル文法」と関わるものでしょうか。
- 回答:「疑似独話」は個々の表現(類型)について述べたものであるのに対し,独演調談話は談話(類型)を対象にしたものなので概念的には対応しませんが,野田春美 (2014)が浮き彫りにしている,「書き言葉」の中にも様々なタイプがあってそれが言語表現の現れ方の違いに反映するという言語事実は,ジャンル文法と大いに関わると考えます。
揚妻講師への質問と回答
- 質問:話し手(書き手)の「表現意図」が変化を推し進めるもの,というお話を大変興味深くうかがいました。「表現意図」というのは,各ジャンルの内容や目的に依存していると考えると,各ジャンルの中で,それぞれの表現意図のもとに変化が進んでいくと考えられるのでしょうか。
- 回答:まさしくその通りであろうと思います。それまでの戯作などでは登場人物を描くのに,服装がどうだ,髪型がどうだといった周辺的なことばかりを描いていて,なかなか当人の人となりにたどり着かない,というよりそのような外面を描くことが人となりを描くことになるということであったのが,近代的な文学観ではそのような外面より内面が大事だ,ということになったわけです。しかし旧文体の慣習ではそうした外面を描くのが定番です。つまり服装だの髪型だのといった内容と文体とが癒着しているわけで,新文体はそれを切断する必要があったと考えられます。俗語による会話文やタ止めを連発する地の文は写実そのものを実現するのにふさわしい文体であることも確かですが,旧文体との関係からすると新文体はそれと「似ていない」必要もあったのではないかと考えます。
もちろんそうはいっても,全くゼロから新文体が創造されるわけではないのは当然です。尾崎紅葉『金色夜叉』の漢文訓読的語法の利用など旧来の慣習に依存する例はその典型的なものですが,タ止めの文章にしても「タ」という江戸時代にも普通に用いられてきた助動詞を異化するようにしか新文体は生み出せないわけで,文体創造は慣習性を踏まえたうえで行われると考えられます。