第22回大会シンポジウム「年少者日本語教育と日本語文法研究」特設ページ

2021年12月12日(日) 13:30-16:30
第22回大会シンポジウム「年少者日本語教育と日本語文法研究」質疑応答について

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    本シンポジウムでは、年少者日本語教育(日本語を第二言語とする児童生徒を対象とした日本語教育)をテーマとしました。年少者日本語教育は、日本語学・言語習得・日本語教育・学校教育・エスニシティなど、成人を対象とした日本語教育以上に領域をまたいだ学際的課題を抱えています。文法研究の意義とその応用が議論される昨今、年少者日本語教育にも文法研究の資するところがあると考え、当該分野の専門家3名を招いての討論を行いました。

    • 講師:佐藤郡衛(明治大学)
      「外国人の子どもの教育で「日本語」はどのように位置づけられてきたか」
    • 講師:菅原雅枝(愛知教育大学)
      「日本語指導の現場から―「学習者の多様性×指導者の多様性」が生む課題―」
    • 講師:小林聡子(千葉大学)
      「やりとりからみる学校教育の構造―「日本語」による不可視化―」
    • 司会:阿部二郎(北海道教育大学)・田村早苗(北星学園大学)

    当日、シンポジウムの終了時刻を延長できず、講師の方が回答することのできなかった質疑応答を以下に掲載します。
    (質問者の個人情報に留意し、お名前・ご所属等は記しておりません。)

    佐藤講師への質問と回答

    • 質問: 外国人児童・生徒を対象とする日本語に関する教育(文法教育を含む)について、それを教員養成の中に(かなり義務的に)組み込んでいく上で、どのような点が必要か、お考えをお聞かせいただければ幸いです。
    • 回答: 質問ありがとうございます。中長期的には「日本語科」の創設が必要だと考えています。現状の枠では、教員養成のカリキュラムの教科専門に科目「日本語」を入れること、あるいは大学の独自の設定科目に「日本語」を入れ込む方法があります。また、国語の教科専門を科目に入れ込むなどの方法があると思います。

    • 質問: 佐藤先生が、中学校の教科指導専門の先生(教科担任の先生)に「教科と日本語との関連」について直接お話されるとしたら、どのようなことを一番のポイントとしてお話されるかご教示いただけたらと存じます。
    • 回答: これは授業で教科の目標と必ず日本語の目標を設定することだと思います。全てとは言いませんが、この教科のこの単元、この授業で生徒の日本語の力をつけたいということを明確にして、教科の授業で日本語の力をつけるということをお話ししたいと思います。

    菅原講師への質問と回答

    • 質問: 教科指導専門の先生方には、「日本語」の視点から指導目標を決め出すのが難しいようだというお話がありましたが、菅原先生が出会われた先生方の持たれた「困難さ」について、何か傾向等がありましたらお示しいただけるとありがたいです。(例えば「教科によって」や「対象の児童生徒の年齢によって」など)
    • 回答: 先生方にとって日本語(を使うということ)があまりにも自明であるということがその要因なのではないかと思います。授業場面での自分のことばを振り返ってみるなどの経験?(これが研修にあたるかと思いますが)がないためで、教科や学年ではないように感じています。

    • 質問: 日本語教育の経験が少ない文法研究者が、「チーム」に入る(入れていただく)に当たって、どのような姿勢が重要/必要だとお考えになるでしょうか。
    • 回答: 一緒に考えましょう、というスタンスでしょうか。これは日本語教育に関わる側も学校の先生方も同じことが必要だと思います。文法研究の先生方が子どもたちの日本語指導や、学校の教科教育の場を一緒に見てくださり、お話ができたら整理できることがもたくさんあるかもしれないと思います。よろしくお願い申し上げます。

    小林講師への質問と回答

    • 質問: ご発表で取り上げられたような問題を解決するためには、「日本語指導を必要としない」児童・生徒の側に対する働きかけや教育も必要ということだと理解したのですが、このような「普通の・周囲の」児童生徒に対する働きかけの例がありましたらご紹介ください。
    • 回答: 「普通の」児童生徒に対する働きかけとして、これまでは国際理解教育のようなものが取り入れられてきたかもしれません。ただ、この場合にも「他者化」という根本的な課題があり、自分とは異なる人々という学び方になっている感が否めません。本来であれば、「日本語」教育については、日本語話者もやって良いものだと思います。また、やさしい日本語というのは、特定の指導者のみだけではなく、大学教育では一般教養として全ての学生が学んでも良いくらいのものだと思っています。つまり、より根本的に学校や教科学習において「していること」を捉え、捉え直し、編み直す必要があると言えるかもしれません。

    • 質問: 異なる言語背景をもつ子どもたちが教室の中で上手く輪の中にとけこめるような工夫として、教室の中で実践できることがあれば、教えていただければと思います。
    • 回答: 多くの大学では、グローバル人材の動きの中で、国際共修というものが進められてきたかと思います。例えば、私や同僚が行ってきた国際協働学習では、専門的背景や言語・前提の異なる留学生も学部生もいる中で、アイデアを可視化するということに焦点を当てて進めていきます(デザインシンキングの手法など)。まずは、一人ひとりがアイデアという手札を用意し、それを絵や写真、文字を使いながら順に伝える。少しずつ共通理解やルール(教室文化)を構築しつつ、アイデアを発展させるということをやります。子ども達にとっても、同じようなアプローチを取ります。小学生とは、フォトナラティブ(テーマに沿った写真を撮ってきてもらい、それにタイトルや説明をつけて、話してもらう。基本何語で書いても良く、Google翻訳などで解読。日本語(ないし他の言語)にしたい子は、友達の手を借りながらやる)。このように、可視化する媒体を用いて、子どもそれぞれのリアリティを探り、共有するような取り組みができるのではないかと思います。かれらの意味世界を垣間見ることは本当に面白いです。

    • 質問: 本日は、ありがとうございました。小学校の日本語教育担当として勤務しています。来日直後の児童が転入すると、同じ母語話者の児童を通訳役として据えることは多々あるかと思います。しかし、数か月経つと、担任の先生たちは彼らに「その子のため」を大義名分に母語の使用を禁ずるようになりがちです。在籍クラスで学習するために日本語習得は必須ですが、母語の重要性や有用性を無視できませんし、児童たちの人格形成にマイナスになるのではと思えてなりません。担任の先生たちの意識を更新していく必要を感じています。この点について、どう思われるかご意見頂けたらと思います。
    • 回答: 母語を禁止するというのは、大変心が痛い状況です。「母語の禁止が子どものため」という言説は、欧米でも保守的な政治プロパガンダと相まって、かなり強硬に押し進められてきた時期がありました(例:1990年代後半から2000年代前半にかけて、米国ではバイリンガル教育禁止条例が広がりました)。その際、子ども達への自己肯定感や学びへの動機やその質に大きな影響を与えたことが、多くの研究で明らかになっています。日本の教育現場において、適応や同化が子どものためだという一方で、「多様性や個性が大事だ」という理念が強調されるという矛盾もあります。つまり、学校教育の現場に根付く、「子どものため」という「誰か」にとって都合の良い言説が形骸化されていること自体に課題があるのだと思います。先生方も大変ご尽力してくださっている中でのことと思いますので、共にこれを捉え直すような取り組みにつなげていきたいと切に思います。

    全体への質問と回答

    • 質問: 今日のお話を伺って,教科教育とのつながりを考えるとすべての教員が日本語教育に関する基礎的な知識や技能を持っていることが理想だと思いました。ただいきなりそれを達成するのは無理だとすれば,たとえば「外国語」や「英語」などに関わる教員から(今よりも)年少者日本語教育に関わっていくというステップがあると良いのではないかと考えたのですが,講師の先生方のお考えや,関係する事例がもしあればお聞かせください。
    • 回答(菅原講師): 理想論ですが、教師養成の根幹の部分で、もう日本語日本文化だけではないのだということを伝える必要があると思います。教科で切ってしまうと他教科の方々にとってはこれらが他人事になりかねなくなることを危惧します。
    • 回答(小林講師): 言語に携わる先生に限らない方が良いと思います。今でも、外国人児童生徒教育に現場で携わるように任命される先生方が言語系に偏っている状態にあり、それが言語だけの問題という誤った認識にもつながっていると思うのです。菅原先生のおっしゃるように、教育基礎の一部として文化や言語の捉え方を学ぶ必要があるのだと思います。

    • 質問: 学校現場での日本語非母語話者児童・生徒のケア、フォローについては、職場がある市でも教育委員会を中心に周辺大学の日本語教員養成課程にヘルプを頼み、教員養成と現場のヘルプがWinWinになるように奮闘されていますが、なかなか難しいところがあります。▼単なる通訳要員としてではなく、生活指導等、言語教育以上のものが求められているように思います。▼現状を打破するには、アドホックな対処ではなく、日本語教師のあらたな就職先として義務教育に枠を設けるような政策的な動きが必要と思いました。そのような動きはあるのでしょうか?
    • 回答(佐藤講師): 最後の質問に答えます。2020年3月の外国人児童生徒等の教育の充実に関する有識者会議の最終報告書に、日本語教師が特別免許状や特別非常勤講師制度を活用することで、学校の教師と同様に日本語指導を担うことができるようにするという提言をしました。以下を参考にしてください。
    • 回答(菅原講師): 日本語教育の専門性をお持ちの方が学校教育に関わってくださるのは大変良いことだと思います。ただ、日本語教師の側にも学ばなければならないことがたくさんあるのだということは伝えていかねばならないと思います。日本語教育は日本語教師に任せるのではなく、ともに考えるということを大切にしていきたいと考えます。